
こんにちは。起業1年目、株式会社coiai代表の服部陽良です。
ものづくりを軸にシステム開発やプロダクト開発を行っているIT会社の創業者として、毎週月曜にこの番組で起業のリアルを発信しています。
今回のメイントピックは、Anthropicが6/4に公開した「When AI Builds Itself(AIが自分自身を作るとき)」レポートと、フェラーリ初の完全EV「ルーチェ」の話。後者はちょっと面白かったので、工業デザイン好きの個人として、思ったことを率直に話します。
前回のポッドキャストから4週間近く空いてしまいました。何をやっていたかというと、特に忙しかったわけではなく、単純に気落ちしていたというか、気持ちが少し落ち込んでいた、というのが正直なところです。
仕事自体は安定してきていて、新たな受注も入りつつ、次の大きな仕事の準備をしつつ、という感じで、フェーズとしては少し落ち着いていました。
今までずっと、バイトをしながら自分の会社をやるという二足のわらじでした。いよいよ自社の仕事の方が大きくなってきたので、バイトを辞めるタイミングになってきました。これはありがたい話です。
このポッドキャストを聞いている方の中に、自分で起業してみたいという方がいらっしゃるかもしれません。そういう方はおそらく、今の仕事をやりつつ副業として新しい会社を作る、というルートを通ると思います。もともとやっていた仕事を離れられるくらいの大きな仕事が入ったというのは、経営の面から見ても、会社を作るプロセスから見ても、ひとつのステップアップであり、嬉しいタイミングだと思います。
そして7月からは、大きな案件のひとつで東京を離れて岡山で仕事をすることになりそうです。環境も変わりますが、楽しみにしています。
ここから本題。Anthropicが6月4日に公開した「When AI Builds Itself(AIが自分自身を作るとき)」というレポートが、世界中のテック系メディアで大きく取り上げられました。Hacker Newsをはじめ、いろんなところで報じられています。
Claudeがどんどん成長していって、自分自身を成長させる段階に来ているということです。
Anthropic自身が使っている言葉が「再帰的自己改善(Recursive Self-Improvement)」。シンプルに言うと、AIが自分よりも優れた次のAIを設計・実装できる段階に到達したということです。
これってある種のシンギュラリティですよね。「コンピュータが次のコンピュータを作り出す」というフェーズが、SFの話ではなく現実に来てしまった。だいぶ前にレイ・カーツワイル本人もこのあたりの段階について語っていた記憶があります(具体的な言葉はうろ覚えなので、いずれちゃんと取り上げますが)。
実際に自分も毎日Claude Codeでコーディングをしていますが、「8倍どころじゃない」というのが体感です。自分が指示したもの以上のものがアウトプットされて出てくるのが、もはや普通になってしまった。この1年で自分のコードの書き方が完全に変わりました。
エンジニアの仕事という観点では、8倍の成果が出せるとしたら、8分の1の人数で同じ仕事ができるわけです。エンジニアの存在意義そのものが大きく変わっていく時代だと思っています。
私たちcoiaiは、あくまでもものづくりを軸にした会社です。いいものを作って、それによって豊かな生活・豊かな仕事ができることが目標。なので、AIによって設計や実装が速くなったとしても、アウトプットの本質はあまり変わらないのかもしれません。
ただ……アジャイル開発を回している身で言うと、実装が速くなる=各イテレーションで出すプロダクトの完成度が上がるということなので、結果としてクライアントに2週間おきに渡すものは確実に良くなっている。これはやっぱりいいことですね。
ここからは個人的にちょっと気になった話。フェラーリの新型EV「Luce(ルーチェ)」のエクステリアがついに発表されました。ジョニー・アイブが関わるフェラーリというのは以前から噂になっていて、インパネやステアリングは少しずつ公式から出ていましたが、車体全体のお披露目はこのタイミング。
率直な第一印象は、「目的がちょっと不明確な車になってしまったかな」ということでした。市場としてもそういう受け止め方が多かったように思います。
速度を追い求めた車なのか、居住性を追求した道具なのか、コンセプトとして固まっていないように見える。ホームページを見るとスピードの訴求がそれなりにあって、フェラーリという会社から出る以上、速度の楽しさとは切り離せない。LoveFromが提供したかった体験との噛み合わせがどうだったのか、ちょっと気になりました。
なぜルーチェの話をしたかったかと言うと、僕自身がデザインがめちゃくちゃ好きだからです。ジョニー・アイブも好き、マーク・ニューソンも好き、工業デザイン全体が好き、もっと言えばものづくりをしている人は全員好き。
全然関係ない話ですが、郷土資料館でおばあちゃんたちが縫った編み物や水彩画なんかも大好きです。誰かが何かを作っているということ自体に強く惹かれてしまう人間なんですね。
ジョニー・アイブはAppleで透明ボディのiMacなどを手がけた人で、説明不要だと思います。マーク・ニューソンで言うと、有名な金属製の流線型の椅子(うろ覚えで名前を言い切れず……「マーク・ニューソン」で検索してください)があるんですが、僕が今日推したいのは別の作品。
1999年にマーク・ニューソンがフォードと一緒に発表した「Ford 021C」というコンセプトカーです。これがめちゃくちゃ好きで。
僕はデザイナーと車が関わるという現象そのものが大好きなんですよね。エンジニアリングの視点ではなく、ユーザー中心設計の人が車に入ったとき、どんな車ができるのか。それをずっと見てみたかった。
車の市場って基本的に男性的なものなんですよね。スポーツカーがトップに位置して、「かっこいい」が前面に出てくる世界。可愛さを求める市場が一番大きいとは思っていません。コンクール・デレガンスのようなエレガンスの世界はあるけれど、製品に反映されやすいベンチマークはレース業界だと思います。そこに人間中心設計の人が入ってきたら、何が起きるのか。
Ford 021Cは、僕にとってはとても美しくて、可愛いコンセプトカーです。
皆さんが昔iPodやiMacを初めて触った時に感じた「パソコンってゴツゴツしてカクカクしてたよね」「携帯ってゴツゴツしてたよね」というイメージを払拭したのがジョニー・アイブだと思っています。iPhoneやiPodはかわいい。特にホームボタンがあった世代の形は非常に親しみやすい。それと同じ現象を車で起こしたらどうなるかを試した実験が、まさにFord 021Cだと思います。
このコンセプトの面白いところは、車のデザイン史の中で見てもちゃんと意図を組んでいることです。
例えばホンダのMM思想(マン・マキシマム/メカ・ミニマム = 人のスペースは最大、メカのスペースは最小)。あるいはミニのFFレイアウトに代表される居住性確保の伝統。Ford 021Cはこうした流れの先に居住空間を最大化し、機構をコンパクトに前にまとめている。自動車設計史の脈絡と接続しているデザインなんですね。
僕はフェラーリのオーナーではありません。単純に工業デザインが好きな1人の人間として、ルーチェに思ったことを並べます。
座席はアルカンターラかレザー、というあたりに落ち着いてしまった。もっと新しい素材、車に適した別の答えの提案を見せてくれたら嬉しかった。織物でもポリエステルでも何でもいい、もっと素材の可能性を見せて欲しかった。
ルーチェにあるアルミ製の吹き出し口は、Ford 021Cと同じ意匠。これはニューソンが「やっぱりこれをやりたかった」んだろうなと感じました。
スマホやパソコンのダメなところって、触覚によるフィードバックが弱いことなんですよね。PCのキーボードが未だに物理ボタンなのも、ノートPCのタッチパッドが「カックン」と押し込みフィードバックを返すのも、触覚の重要性から来ています。
テスラはインターフェースを全てディスプレイにまとめていて、それは面白く美しいけれど、ルーチェはその見直しをやりたかったんだろうと感じます。ディスプレイの下に埋め込まれたトグルスイッチ、「ディスプレイ × 物理スイッチの一体化」こそがLoveFromがやりたかったポイントだと感じました。これはぜひ実車で触ってみたい。
公式サイトでは色と素材の組み合わせをユーザーが自由に決められるんですが、ユーザーに委ねすぎだと思いました。組み合わせによってはトゥーマッチでゴテゴテして、ふさわしくない仕上がりにもなり得る。工業デザイナーの立場としては、自由度を持たせすぎるのは嬉しくない設計判断じゃないかなと。
LoveFrom的にはセンターコンソールもセンターピラーもなくしたかったはず。Ford 021Cはそれを実現していたわけです。ルーチェは観音開きにしているのに、真ん中に柱が残っている。これは車体剛性(衝突安全規制)の問題で実現できなかったのかもしれませんが、観音開きにする意味合いが少し弱まってしまった気がします。
各箇所のアルミ削り出しは美しいんですが、車体全体と組み合わせた時に流れるようなダッシュボードの美しさが薄れているように感じました。「あらかじめデザインしたステアリングをダッシュボードの上に合体させた」ような印象。テスラのインテリアの方がシームレスで美しくまとめてきたと思ってしまいます。
エクステリアについては、グリッドレイアウトやライン整理の良さがいろいろあるのですが、ポッドキャストで言語化するのは難しいので、最後は好き好きだと思います。
ルーチェを見て改めて思ったのは、車体を設計した人と、中身をデザインする人がどれくらい近い距離にいたのかということ。コンセプトとデザイナーがどれくらい近かったのか。
僕がものづくりで一番美しいと思っているのは「丸縫い」です。テーラリングの世界の言葉で、お客さんの採寸→型紙引き→裁断→縫製まで、1人で全工程を行うことを指します。やっぱり丸縫いが最高峰だと思います。
工業製品で全工程を1人がやるのは無理です。でも最低限「思想」だけは、最初から最後まで1人の人間、もしくは1人を筆頭にしたチームでまとめ上げるべきだと思っています。1つのプロダクトに1人のデザイナーがいて、コンセプトを最初から最後まで一貫させる。できればマーケティングまで含めて貫く。それが美しいものづくりだと僕は思っています。ルーチェの内部事情がどうだったのか、勝手にすごく気になっています。
もうひとつ思ったのは、意匠と現代の工業デザインの親和性の話。
意匠の最高峰時代は、アール・ヌーボーやアール・デコの時代だと思います。その後のアーツ・アンド・クラフツも、意匠の見せ方を考えた運動でした。
ただ、意匠はモダニズムの観点から見ると「ダサい」とされる側面があります(僕の意見ではなく、思想史としてです)。装飾を減らし、より整え、より少なくより美しく — そういう価値観とは少しずれる。
ただ、高級なもの・高付加価値なものは、意匠に必ず凝っているんですよね。フェラーリも高級車も、空気抵抗だけであの形にたどり着いたわけではない。運転だけを考えれば意味のない造形を抱えている。
服も同じです。暖かい・寒い以外の意匠 — 襟、ベンツ(センターベンツ/サイドベンツ)、ラペルの5mm間隔のステッチ — 着心地に直接関係なくても文化的に必要な要素がある。
工業デザインでミニマリズムが装飾を排除していくのは合理的だし、コスト面でも美しさの面でもモダニズムと合致しています。でも、高付加価値の製品は意匠で見せることを諦められない。
例えばブラウンの時計。究極的にシンプルで、デザインとしては美しい。でもロレックスのような最高級時計には並ばない。それは中身のメカニクス的な理由もあるけれど、ある程度の「ダサさ」、意匠性が必要だからだと思うんです。ヴァシュロン・コンスタンタンや、変わった意匠を入れる雲上時計とは違って、ブラウンには「ぎゅっと寄せられない何か」がある。
どんなに機能的でも、エモーショナルな側面がないと付加価値はつかない。これは最近ずっと考えていることでした。話があちこちに飛びましたが、自分のデザイン感を含めて今日はこれを話したかった、という感じです。
今週もそろそろ終わりの時間です。なるべく毎週月曜配信を続けていきたいと思っています。
株式会社coiaiでは、以下の事業を行っています。
平たく言うと「何でもできる」のですが、僕たちが本当に目指しているのは、より美しく、より使いやすく、よりエモーショナルなものを作ること。作ることに全力を注いでいます。
他社に断られた案件、見積もりが高すぎると感じた案件はもちろん、「もっと良く、もっと美しく作りたい」という案件こそ、ぜひ私たちにお任せいただきたいです。お見積もりは無料ですので、お気軽にご連絡ください。
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